インタビュー #03「生きる智恵を学べる場所」
筒木和子 さん
唐松荘 女将/乗鞍高原在住/70代

Q1.はじめてのりくら温泉郷を訪れたのはいつですか?
Q2.観光地としてののりくらのことを教えてください。
のりくらは、観光地としては昭和38年に「学生村」としてスタートしています。
今でいうホームステイのような形で、都会の学生さんたちが、のりくらの宿に滞在しながら集中的に勉強をしたり、この地域ならではの暮らし(薪割り、山菜採り、木の実採取など)を体験するという、そういう場として利用されていました。その後、温泉の引湯やスキー場オープンを機に、次第に一般の観光地として広がっていきました。
Q3.のりくらの温泉はどんな風に始まったのですか?
のりくら高原内に温泉が引湯されたのは、昭和51年のことです。当時、鈴蘭小屋の小屋主であり安曇村の村長でもあった方が、乗鞍岳の中腹(標高2700m付近)にある源泉に目をつけていて、「これは良い温泉が引けるに違いない」と確信をもっていました。でも高原内との標高差や距離もかなりあり、実際に引湯してみないと、どんなお湯が流れてくるかわからない所がありましたし、技術的にも難しさがありました。
でも、そこは開拓者精神で乗り越えました。唐松荘含め、楢の木にある宿や住民7軒で結束して温泉工事の会社に掛け合い、実現に漕ぎつけました。技術的な部分では、楢の木に住んでいた中村礼治さんという有能な技士さんがいた(東京スカイツリーや瀬戸大橋の設計にも携わる)のですが、自ら図面を引いて、大工事の末に引湯が実現したのです。
私自身も、当時は子育て中でしたが、娘たちを保育園に預け、温泉を分配するパイプを地中に埋めてつないでいく作業をしました。ここらの人みんなで力を合わせて、温泉を引いたんです。初めて温泉が流れてきたときは本当に感激しました。その後、鈴蘭地区や、番所地区にも温泉が引湯され、今の乗鞍高原温泉が始まりました。

Q4.のりくら温泉郷の魅力はどんなところにあると思いますか?
学生村だった当時、のりくらに滞在をした方で、今も通ってくださるお客様がいます。そういう方によく言われるのは、「時代が変わっても、のりくらの自然は変わらないなぁ」ということです。時代がどんなに変わっても、いい意味で変わらないまま保ち続けることも大切なことだと思っていますし、そこがのりくらの魅力だと思います。


変わらないままで保ち続けること…。
それは、自然そのものはもちろん、それらを大事にする心であり、真ののりくらを分かってもらおうとする心だと思っています。「昔を忘れない」ということになるのかなと思います。
私の主人の2代上の方々が、のりくらを開拓した開拓者の世代です。大正初期生まれのその方々が、原野を開拓し、荒れ地に蕎麦を播き、貴重な食糧源を自らの手でつくり始めました。ヤギを飼ってミルクを搾ったり、岩魚を飼ったり、森の中で熊や猪や兎を狩ったり、短い夏の間に野菜を育て、厳しい冬のために備え、暮らしていました。
山深い厳しい環境だからこそ、「山と生きる」「自然と生きる」という、綺麗ごとではない日々の営みと、その中で生まれる生きる智恵と心が、この土地にはつまっていると思います。
Q5.今、特に大事にしていることはどんなことですか?
のりくらで昔から作られていて、先輩方から教わった料理を作り続けることです。例えば「きざみ」「ぶどう葉寿司」「山菜料理」「漬物」など。どこにでもあるものではなく、例え素朴なものであっても、のりくらでしか食べられない、ここに伝わってきた料理を作り、お客様に食べて頂きたいと思うし、若い人にも伝えていきたいと思っています。
今、私は宿の女将の他に「乗鞍うまいもの工房」の代表を務めています。地域の人の為になりたい思いで、特産物として「おやき」をつくったり、観光客向けのお弁当を作り始めたのが、工房のはじまりです。うまいもの工房は、現在のりくらの女将達20人が集まって運営しているのですが、工房内の作業で、私自身も得られることが多いです。山のものの調理法や、保存の仕方を皆で共有し合っています。先輩たちがこの地域で工夫して育んできた食の一つ一つが大切な山の智恵。それを大切に伝えていきたいです。




Q6.のりくらは、どんな場だと思いますか?
「生きる智恵を学べる場所」だと思います。
ある写真家の先生が、「のりくらには、他の場所にないものがたくさんある」とおっしゃっていました。写真は「真」を「写す」と書きますが、のりくらには、その「真」がある場所だと。ここは、開拓者たちが土地を耕し、厳しい自然と向き合いながら、創意工夫し、皆で協力し合いながら暮らしてきた歴史があります。自然そのものも含め、そうした「生きる智恵」がここには息づいているということなのではないかと思います。
そうして先代、先々代から教えられたことを引き継いで、大事にしていきたいと思っています。


